部落差別1
このブログでは取得した資格を記事にするばかりで、自分の事などほとんど書いてきませんでした。
資格のネタも切れてきたので、そろそろそういった記事も書いてみようかと思いました。
僕が一生忘れないであろう事を書いてみます。
それは20数年前の春のことでした。
当時アルバイトを探していた僕は、求人広告で地元の運送会社の仕事を見つけました。
倉庫内で野菜の仕分けをする仕事でした。

時給がそんなに良かったわけではなく、得意ではない接客業をさけて行きついたわけです。
実際に働きに行ってみると、男性社員が3、4人いて、パートのおばさんが20人くらい。そして僕のような20歳前後の男子アルバイトが7、8人いました。
仕事はベルトコンベア上の野菜を仕分けして箱詰めするというもので、野菜が重いという以外は気兼ねすることが少ないものでした。みんなで和気あいあいと働けるいい雰囲気の職場でした。
僕が名字を名乗るまでは・・・。
僕の名字は地元では被差別部落の人に多いものです。このブログでは元々ほとんど正体を書いてるようなものでしたが、これで大体僕が誰かとういう確信を得た人もいらっしゃるでしょう。
僕がそんな限られた自分の名字を職場で名乗ったとたん、みんなの態度が急変したのです。
「○○(僕の名字)っていうたら・・!!」
パートのおばさんたちがサッと集まってみんな顔色を変え、声をひそめたのです。
それまで和気あいあいとした雰囲気はなくなり、まるで僕がおっかない犯罪者であるかのようにビビりながらさけるという雰囲気になりました。あまりに露骨な態度の変化です。
でも数日たって、少しずつそんな僕に慣れてきたのか話しかけられるようになりました。
「お母さんは××(地名)の人?」
「あなた××から来てるの?」
実際僕は××に住んでなくて、親戚すらいない。なので否定しても、同じ質問を何度も何度もされました。
この人たち何回聞いたらわかるんだろう?とその時は思いました。
ちなみに××は地元にある被差別部落の地名でした。
それからいろいろありました。
昼ごはんを食べる場所をみんなと別にされたのです。
何日かたった昼休みに、僕はみんなが昼ごはんを食べている所に行ってみました。僕が行っても十分座れるスペースは有り余ってました。狭いから別にされていたのではなかったのです。
そしてこれはある休み時間のことです。あるパートのおばさんがみんなにお菓子を配っていたのですが、僕だけ配ってもらえませんでした。忘れてるのかな?と思ってたら、そのおばさんはしばらく僕を見ていました。あまり良い感情を感じる目線ではありませんでした。要するに忘れているのではなく、配ってくれなかったのです。
両親に話してみたところ、昔、実際にこれらのことは被差別部落の人を差別するやり方として、目の当たりにしたことがあったそうです。
それからも働き続けて行くうちに嫌がらせが明らかになっていきました。
僕は話の輪に入れてもらえず、ただ黙々と仕事をするだけ。そしてまわりで飛び交っている話題は部落を差別する内容が段々増えて行きました。
とうとう僕はその中の人間が一人になったところをつかまえてただしました。
「僕が××から来てるってなんで何度も聞くんですか?」と。
するとその人はものすごく怯えて大慌てで逃げて行ってしまいました。
僕はこんな環境はおかしいと思って事務所に駆け込みました。
社長に直接話をしました。社長は「君は被差別部落の人間ではないから誤解じゃないか。だったらそれを言えばいいんじゃないのか?」と。僕は「そんな事を言って差別から解放されたら、あの人たちと同じになってしまう」と言いました。
結局僕は辞めることになりました。
僕はもっと闘うべきだったんだろうか?
資格のネタも切れてきたので、そろそろそういった記事も書いてみようかと思いました。
僕が一生忘れないであろう事を書いてみます。
それは20数年前の春のことでした。
当時アルバイトを探していた僕は、求人広告で地元の運送会社の仕事を見つけました。
倉庫内で野菜の仕分けをする仕事でした。

時給がそんなに良かったわけではなく、得意ではない接客業をさけて行きついたわけです。
実際に働きに行ってみると、男性社員が3、4人いて、パートのおばさんが20人くらい。そして僕のような20歳前後の男子アルバイトが7、8人いました。
仕事はベルトコンベア上の野菜を仕分けして箱詰めするというもので、野菜が重いという以外は気兼ねすることが少ないものでした。みんなで和気あいあいと働けるいい雰囲気の職場でした。
僕が名字を名乗るまでは・・・。
僕の名字は地元では被差別部落の人に多いものです。このブログでは元々ほとんど正体を書いてるようなものでしたが、これで大体僕が誰かとういう確信を得た人もいらっしゃるでしょう。
僕がそんな限られた自分の名字を職場で名乗ったとたん、みんなの態度が急変したのです。
「○○(僕の名字)っていうたら・・!!」
パートのおばさんたちがサッと集まってみんな顔色を変え、声をひそめたのです。
それまで和気あいあいとした雰囲気はなくなり、まるで僕がおっかない犯罪者であるかのようにビビりながらさけるという雰囲気になりました。あまりに露骨な態度の変化です。
でも数日たって、少しずつそんな僕に慣れてきたのか話しかけられるようになりました。
「お母さんは××(地名)の人?」
「あなた××から来てるの?」
実際僕は××に住んでなくて、親戚すらいない。なので否定しても、同じ質問を何度も何度もされました。
この人たち何回聞いたらわかるんだろう?とその時は思いました。
ちなみに××は地元にある被差別部落の地名でした。
それからいろいろありました。
昼ごはんを食べる場所をみんなと別にされたのです。
何日かたった昼休みに、僕はみんなが昼ごはんを食べている所に行ってみました。僕が行っても十分座れるスペースは有り余ってました。狭いから別にされていたのではなかったのです。
そしてこれはある休み時間のことです。あるパートのおばさんがみんなにお菓子を配っていたのですが、僕だけ配ってもらえませんでした。忘れてるのかな?と思ってたら、そのおばさんはしばらく僕を見ていました。あまり良い感情を感じる目線ではありませんでした。要するに忘れているのではなく、配ってくれなかったのです。
両親に話してみたところ、昔、実際にこれらのことは被差別部落の人を差別するやり方として、目の当たりにしたことがあったそうです。
それからも働き続けて行くうちに嫌がらせが明らかになっていきました。
僕は話の輪に入れてもらえず、ただ黙々と仕事をするだけ。そしてまわりで飛び交っている話題は部落を差別する内容が段々増えて行きました。
とうとう僕はその中の人間が一人になったところをつかまえてただしました。
「僕が××から来てるってなんで何度も聞くんですか?」と。
するとその人はものすごく怯えて大慌てで逃げて行ってしまいました。
僕はこんな環境はおかしいと思って事務所に駆け込みました。
社長に直接話をしました。社長は「君は被差別部落の人間ではないから誤解じゃないか。だったらそれを言えばいいんじゃないのか?」と。僕は「そんな事を言って差別から解放されたら、あの人たちと同じになってしまう」と言いました。
結局僕は辞めることになりました。
僕はもっと闘うべきだったんだろうか?
スポンサーサイト