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部落差別2

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僕は以前特殊な下水処理場に勤めていました。
その時の出来事を書いてみようと思います。


特殊な下水処理場とは、ある産業の工場排水を処理して一般の下水処理場に放流するところです。
その工場排水の中には、油の塊や化学薬品処理後の液体が多く含まれている為、直接一般の下水処理場で処理できないわけです。
この処理場は市営ですが、普段常駐して設備管理しているのは市職員ではなく、民間委託業者です。
僕はその中の一人でした。

問題が始まったのは、処理場に赴任して3,4ヶ月たったころでした。

所長がきつい叱責や暴言を部下の我々にするようになったのです。
当初、僕は同僚たちと「所長は実は厳しい人だったんだな」と話す程度の認識でいました。

ところが叱責や暴言はどんどんエスカレートしていきました。
処理しにくい排水が流れてくれば部下のせい。産廃が多く出れば部下のせい。出入り業者さんに狂ったように罵声を浴びせる。処理場内の工事業者さんに横柄な態度でこまごまと因縁をつけて、いろんな責任を追及する・・・
ついにはメチャクチャな理屈で、ほとんどの部下を人格攻撃するようになったため、同僚の一人がパワーハラスメントで訴えるとして、証拠音声を録るデジタルレコーダーを隠し持つまでになりました。(のちにこの同僚は解雇)

どうして所長はこんなに狂っているんだろう?

ある日それがやっと分かりました。所長は市の処理場担当職員から強いプレッシャーを受け続けていたのです。無理難題を押し付けられていました。
そのしわ寄せが我々現場労働者にパワーハラスメントとなって現れていたのです。
「所長」言えども、それは民間委託業者内の呼称にすぎません。市担当職員は怖い「お客様」なのです。

では市がなぜ強いプレッシャーをかけてくるのか?

それも分かる日が来ました。処理場内の工事の立会に市職員たちが来ていた時のことです。
排水を出す工場や周辺住民に対して彼らは異様に怯えて神経をとがらせていたのです。
工事音がうるさくないか?臭気は漏れていないか?交通の邪魔になっていないか?光はまぶしくないか・・・・
市職員たちは工事の立会そっちのけで、トランシーバーや携帯電話で連絡を密に取り合って走り回っていました。

理由は排水を出す工場および処理場周辺は被差別部落地区であるからということでした。
苦情が嫌という程度の問題ではなく、市は被差別部落にたいして表向き他の市民と公平に接するとしながら、実は特別な対応をしなければならないという不文律を抱えているようです。

周辺住民のクレームで処理場の看板を外すことを強いられて外したとか、処理場の門前を周辺住民に勝手に駐車場にされて文句が言えないという話までも耳にしました。

でも僕には市が大袈裟に対応し過ぎているように見えます。
個人的に周辺住民や、排水を出す工場に勤めていた人とお話しすることが何度かありましたが、みんな気のいい普通の人たちでした。看板や勝手駐車の件は大袈裟に対応し過ぎた誤解ではないでしょうか。市が逆差別を産み出しているようにも見えるのですが…

部落差別1で書いたように、差別される側を経験しましたが、つらいものです。
逆差別のしわ寄せもつらいものです。
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部落差別1

このブログでは取得した資格を記事にするばかりで、自分の事などほとんど書いてきませんでした。
資格のネタも切れてきたので、そろそろそういった記事も書いてみようかと思いました。

僕が一生忘れないであろう事を書いてみます。

それは20数年前の春のことでした。
当時アルバイトを探していた僕は、求人広告で地元の運送会社の仕事を見つけました。
倉庫内で野菜の仕分けをする仕事でした。
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時給がそんなに良かったわけではなく、得意ではない接客業をさけて行きついたわけです。
実際に働きに行ってみると、男性社員が3、4人いて、パートのおばさんが20人くらい。そして僕のような20歳前後の男子アルバイトが7、8人いました。

仕事はベルトコンベア上の野菜を仕分けして箱詰めするというもので、野菜が重いという以外は気兼ねすることが少ないものでした。みんなで和気あいあいと働けるいい雰囲気の職場でした。


僕が名字を名乗るまでは・・・。


僕の名字は地元では被差別部落の人に多いものです。このブログでは元々ほとんど正体を書いてるようなものでしたが、これで大体僕が誰かとういう確信を得た人もいらっしゃるでしょう。
僕がそんな限られた自分の名字を職場で名乗ったとたん、みんなの態度が急変したのです。

「○○(僕の名字)っていうたら・・!!」

パートのおばさんたちがサッと集まってみんな顔色を変え、声をひそめたのです。
それまで和気あいあいとした雰囲気はなくなり、まるで僕がおっかない犯罪者であるかのようにビビりながらさけるという雰囲気になりました。あまりに露骨な態度の変化です。

でも数日たって、少しずつそんな僕に慣れてきたのか話しかけられるようになりました。

「お母さんは××(地名)の人?」
「あなた××から来てるの?」

実際僕は××に住んでなくて、親戚すらいない。なので否定しても、同じ質問を何度も何度もされました。
この人たち何回聞いたらわかるんだろう?とその時は思いました。
ちなみに××は地元にある被差別部落の地名でした。

それからいろいろありました。

昼ごはんを食べる場所をみんなと別にされたのです。
何日かたった昼休みに、僕はみんなが昼ごはんを食べている所に行ってみました。僕が行っても十分座れるスペースは有り余ってました。狭いから別にされていたのではなかったのです。

そしてこれはある休み時間のことです。あるパートのおばさんがみんなにお菓子を配っていたのですが、僕だけ配ってもらえませんでした。忘れてるのかな?と思ってたら、そのおばさんはしばらく僕を見ていました。あまり良い感情を感じる目線ではありませんでした。要するに忘れているのではなく、配ってくれなかったのです。

両親に話してみたところ、昔、実際にこれらのことは被差別部落の人を差別するやり方として、目の当たりにしたことがあったそうです。

それからも働き続けて行くうちに嫌がらせが明らかになっていきました。
僕は話の輪に入れてもらえず、ただ黙々と仕事をするだけ。そしてまわりで飛び交っている話題は部落を差別する内容が段々増えて行きました。

とうとう僕はその中の人間が一人になったところをつかまえてただしました。
「僕が××から来てるってなんで何度も聞くんですか?」と。
するとその人はものすごく怯えて大慌てで逃げて行ってしまいました。

僕はこんな環境はおかしいと思って事務所に駆け込みました。
社長に直接話をしました。社長は「君は被差別部落の人間ではないから誤解じゃないか。だったらそれを言えばいいんじゃないのか?」と。僕は「そんな事を言って差別から解放されたら、あの人たちと同じになってしまう」と言いました。

結局僕は辞めることになりました。

僕はもっと闘うべきだったんだろうか?
プロフィール

赤い左辺

Author:赤い左辺
資格で就職に何度も失敗しました。40を過ぎてから資格取得は、マイペースな趣味にしていこうと決めました。
資格じゃない記事も書きます。そっちがメインかも?(^^ゞ

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